ガルディオス家で迎える朝は実に平和なものだった。
私が支度を済ませ外に出ると、既に庭先で仕事をしているペールさんとばったり出会う。挨拶を交わしがてら、朝一番に収穫したという野菜を貰う。今日はキャベツと空豆だった。早速朝食に入れようと思う。
ぐつぐつ煮えだつ鍋の中で、空豆のクリームスープが甘い香りを漂わせてきた頃合いを見て、私はこの家の住人を迎えに行く。
庭にいるペールさんと、そして、新しい私のご主人様――― ガイラルディア様。
(なんか、まだ慣れないな…)
ついこの間まで共に戦ってきた仲間である彼に、主として仕えるのは。
「おはようございます、ガイラルディア様。」
私が朝食の呼び出しに行く時、彼は決まって同じ場所にいた。
大広間の真ん中に立っていた彼は、私が声を掛けると構えを解き剣を鞘に納めた。丁度終わったところだったようだ。朝一に剣を振るうのが、彼の日課らしい。
やがて彼は少し納得のいかない表情でこちらを振り返った。
「おはよう、。…「様」はなしだって昨日も言ったろ?」
――― まだ引き摺っているらしい。
「には昔みたいにガイって呼んで欲しいんだ。…駄目かい?」
(…う。)
困ったような、哀愁漂った目で見詰められると弱い。時々彼はこうゆう顔をして、お願いをしてくる。―図ってやっているような気がして仕方ない。
「そ…そうもいきません。今貴方は私の主人ですから。」
あともう少しのところで折れそうになって、私は頭を振る。危ない、危ない。彼の思惑通りに頷いてしまうところだった。
頑なな私に彼は面白くなさそうに瞳を細めるとしょうがない、といった様子で頷いた。
「分かった。…ちっ」
「今舌打ちしませんでした?しましたよね?」
「なら言い方を変えるさ。様付けは禁止。俺のことはガイと呼ぶこと。―命令だ。」
(…うぅっ!…ずるい!)
「…。…分かりま」
「あ。敬語も禁止だからな」
間髪入れずに次の注文が飛んでくる。
命令、という最終兵器を出されては、一応彼付きのメイドということになっている私ではもうどうすることも出来ない。悔しさを滲ませて無言で睨み付ける先で、彼は涼しげな顔をして返事を待っている。私に拒否権などないことを知っているはずなのに、それでも私からの返事が聞きたいらしい。
完敗だ。私ががっくりと肩を落とした。
「…ふぅ。分かったよ…二人きりの時だけだからね。」
「あぁ。…ありがとう、。」
そういえば彼は時々妙に押しが強いところがあった、と疲れた声で渋々返事をしながら思う。いつもはあんなに優しいのに、時々こうして意地の悪いことをする。
(前から思ってたけど…実はこの男、結構腹黒いんじゃないか…?)
なんか大佐に似たものを感じるような、感じないような。
それでも満足そうに―本当に嬉しそうに笑ってくれた彼を見ている内にまあしょうがないかなと思えてくるのだから不思議だ。それに、ついこの間まではこんな軽い調子で声を掛け合う仲だったのもあり、私の中でもこっちの方が自然でしっくりくるのも事実だった。
「……、」
硝子張りの天井からは朝一番の爽やかな陽射しが降り注ぐ。遠くから、街を流れる水のせせらぎがそっと聞こえてくる。グランコクマで迎える、いつも通りの静かな朝。
名前を呼ばれてふとその顔を見上げ目が合った瞬間に、どきりと胸が跳ね上がった。真っ直ぐに注がれる視線は、真剣で誠実で―それでいてどこか途方もない熱を孕んでいるようで―――
(…知ってる……この瞳は…)
透視感。ガイのこの目を知っていた。
瞼の裏側にシェリダンの星空が甦る。淡い波音が耳にこだましてくる。最後の決戦の前夜。あの日あの時あの場所でもガイはこの目をしていた。
――― 好きだ。
「あ!そ…、そうそう、朝食が出来たんだ。ペールさんも待ってるからガイも早く来てね!」
景色。匂い。音。世界。視線。ささやかれた、言葉。平和で静かなグランコクマの朝は消え、シェリダンの夜があっという間に私を包んでいた。あまりに鮮明で、あまりに唐突で、あまりにリアルで、どちらが夢か現実が分からなくなる程だった。
訳も分からず焦って声をあげ、私は半ば無理矢理グランコクマの朝に戻ってきた。あんなに静かで穏やかだったはずの心は今や乱れに乱れている。
弾かれるようにしてガイの傍から離れ、慌ただしく広間を飛び出した。
「…。…まあ、名前呼んでくれただけ、一歩前進か?」
その部屋の中では、暖かな春の朝日に包まれ、うっかりメイドに逃げられてしまったご主人様ががっくりと肩を落とし、中々上手くいかないものだと溜息を零していた。
vie non-journaliere
冷静と情熱の間